毎日ビジネスブログ No.762
社員を笑顔に変える
頑張る社長の熱血サポーター
“奥ママ”こと
奥田 文祥(おくだ ふみよし)です
経営者の皆さんに
お役立ち助成金情報を発信中!
きのうは
ゴールデンウィーク初日
でも朝から雨で
このところの疲れもあり
午前中は久しぶりに自宅で
ごろごろしていたんですが
日経の社会面を見て
と声が出た
誰かわかる方は
少ないでしょうけど
私が36年のサラリーマン時代
ずっと在籍した会社が
藤沢薬品工業~アステラス製薬
2005年に
山之内製薬と合併して
アステラスができたんですが
この青木さん
藤沢薬品社長として
この合併を主導した方
2000年代
製薬業界でも日本企業は
外資との差が大きくなっていて
金融業界と同様に
合併の機運が盛り上がり
多くの合従連衡がありました
第一三共しかり
大日本住友製薬しかりです
その先陣を切ったのが
アステラスで
この青木さんの
危機感と行動力がなかったら
この大型合併はなかった
でも私にとっては
この合併
最悪の5年間を
すごすことになりました
ちょうど40歳代
それなりに順調なサラリーマン人生を
歩んでいたんですが
合併したときは
45歳でしたが
一番、縁遠いと思っていた
うつ病にです
幸いうつの薬を販売していたので
知識はあったし
大学病院の精神科担当だったので
先生方に助けていただきましたが
うつを会社に隠し通すという
やってはいけないこともしました
その後
京都から横浜へ転勤して
踏ん張って営業をしていましたが
ずっと複数の抗うつ薬を飲んでいました
でもやっぱり無理は続かず
会社で突然倒れることがあり
営業を外れ
内勤者として神戸に転勤
そしてー
49歳で
になりました
たぶん
メンタル的なものが
免疫にも影響が出たのかな
こちらは名医のオペで
事なきを得ましたが
肝臓がんになった時
ヤバい!
5年も生きられんかも
なら、うつとか言って
グダグダ言ってる場合やない!
と思ったお陰なのか
そう
死ぬかもしれんと思うと
うつって治るんです
でも内勤になったので
体はとても楽になったし
定時出社、定時退社の
50歳代でした
なので
体力温存の10年間
お陰でいまは
30~40歳時のレベルで
働けています
もし、あの合併がなかったら
一生、営業現場にいただろうし
65歳まで会社にしがみつこうと
していたかもしれない
そして
神戸に来ることもなかった
5~6年前までは
あの合併さえなければー
と思っていましたが
今は
どんな結果になろうと
それは自分の責任で
人のせいにすることは潔くない
と思えるようになりました
青木さんは
座して死を待つより
行動して、結果はどうあれ
変えようとしたのだし
周囲に反対が
あったかもしれないけれど
それを貫き通したことは
尊敬できる方だと
いまさらながらに思います
あらためて
故 青木初夫さんに
感謝申し上げます。
あの合併がなかったら
今の私はありません
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