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みなと元町社労士事務所

梅雨明け宣言は訂正できるけど、助成金の資料って訂正できるの?

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毎日ビジネスブログ No.843

 

社員を笑顔に変える

頑張る社長の熱血サポーター

 

“奥ママ”こと

奥田 文祥(おくだ ふみよし)です

 

➡️➡️➡️ 奥ママのトリセツはこちら ⬅️⬅️⬅️

 

 

 

経営者の皆さんに

お役立ち助成金情報を発信中!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きのうは

京都の顧問先へ

 

 

予定通り

新快速に乗ったんですが

大阪駅の寸前で

 

この列車は大阪駅どまりに

急きょ変更します

とのアナウンス

 

 

なんでや?

 

 

アナウンスによると

終点の滋賀県が大雨で

列車が止まっている

 

なので新快速は

打ち止め

 

 

京都までは行けるけど

各停しかないようだ

 

 

得意先に電話を入れ

予定より30分遅れで済みましたが

 

 

 

これってどう見ても

梅雨末期の大雨やん

 

誰もがそう思う

 

 

気象庁は何も言わんけど

先月末の

梅雨明け宣言は間違い?

 

最速記録を作りたかったのか?

 

 

 

 

どうやら

梅雨明けと思ったのは

 

これまでもよくあった

梅雨の中休みやったみたい

 

 

 

実は

梅雨明け宣言って

あとから訂正できる

 

いつも夏が終わってから

今年の梅雨入りと梅雨明けは

実際は何月何日でした~

 

ていうのがあって

 

 

会話

梅雨明け宣言と違う日でした

というのも

ありなんですよ!

 

 

 

それってどうよ

って思うけど

 

自然相手だから

仕方がない

 

 

 

 

でもこれ

助成金の世界では

絶対通用しない

 

 

申請書類に添付した資料が

間違っていたので

 

訂正します~

とか

正しいのと差し替えますー

 

はキホン通用しないし

 

出したものは

返してくれない

 

 

 

ただ

 

内容に問題があるときは

申立書を書いて

 

なんで不備があるのか

その合理的な理由を

理路整然と申し上げれば

 

通ることが多い

 

 

通常よくつけるのは

 

就業規則の申立書

 

 

ふつう就業規則って

常時使用する従業員が

10名以上いたら

 

労働基準監督署に

届け出る義務が会社にある

 

 

でもそれより少ない社員数の

会社だった場合

 

就業規則はある

でも届け出ていないよ

 

てな場合

 

 

 

その就業規則は社内で

全従業員に周知されていること

 

および

公正かつ適正に実施されていること

 

そして

その就業規則は

何年何月何日から施行されてる

 

という事を

労働者代表者の名前で

申立書を作ります

 

 

 

 

あるいは

 

 

キャリアアップ助成金の申請時に

添付した就業規則の施行日

 

対象労働者の正社員転換した日

同日であった場合

 

 

その就業規則は

 

いつ周知されて

いつ労働者代表者の意見をとったか

申し立てる必要があります

 

 

 

こんな風に

助成金申請をした後

労働局から色んな問い合わせが来ますが

 

 

おっしゃることに従って

素直に出せと言われるものを

だせばいい

 

そうすれば

助成金は通ります

 

 

一回出したものを

なかったことには

梅雨明け宣言のようにはできないですが

 

 

 

会話

申し立てられるだけの

理由や事情があれば

大丈夫なときもあります

 

 

あきらめないで

 

 

わからないときには

助成金専門の社労士さんを

頼りにするのが正解です

 

 

会話
もちろん奥ママも大丈夫!

👆ホンマの梅雨明けは23日くらいか?

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お問い合わせ

会社名 みなと元町社労士事務所
住所 〒650-0023
神戸市中央区栄町通2丁目4-13神栄ビル502
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定休日 土・日曜・祝日
営業時間 9:00〜17:00
みなと元町社労士事務所のHP

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社会保険労務士

                               
名前奥田 文祥
住まい兵庫県

Profile

1959年 大阪府生まれ その後奈良県にて幼少期を過ごす

大学時代は年間50日以上、山登りに明け暮れる。

1983年4月、製薬会社に就職し、25年間京都~横浜で営業担当(エムアール)として過ごす。

49歳の時に肝臓がんのため手術療養、その5年後再発するも再手術により事なきを得る(37歳時に膀胱がんも経験しており、3度のがん罹患経験)。

肝臓がん罹患後は営業一線を退き、医薬品の副作用調査を業務とする市販後調査部担当者として10年過ごし、定年を前に早期退職。

2019年7月、58歳時に合格していた社会保険労務士として独立開業を果たす。

開業後、社労士として中小零細企業の実情を知る中で、サラリーマンとして36年間勤務していた大企業の労務管理との格差の大きさに驚き、「社員の皆が元気に機嫌よく働ける職場」醸成のための“あるべき労務管理”の必要性を痛感する。

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